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大原麗子さんに寄り添った元マネージャーが孤独死の真相告白

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1: 豆次郎 ★@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:30:35.12 ID:CAP_USER9
8/28(月) 11:00配信
NEWS ポストセブン

大原麗子さんに寄り添った元マネージャーが孤独死の真相告白

 2009年8月に流れた女優・大原麗子(享年62)の突然の訃報、それも死後3日経ってから発見されたという悲しい最期は日本中を驚かせた。それから8年という月日が経過したが、毎年命日が近づくと、メディアはこぞって彼女の特集を組む。可憐な美貌と独特の甘い声とともに、「国民的女優」として多くのファンの印象に残っている。

 彼女は、なぜ淋しい死を迎えたのか。デビュー当時からのマネージャーで、亡くなる直前まで寄り添っていた佐藤嘉余子氏(81)が、これまで明かされなかった大原との40年間、そして“孤独死”の真相を初めて語る。

 * * *
 早いもので、麗子さんが亡くなってから今年の8月3日で8年を迎えました。

 麗子さんのことが語られるとき、「孤独死」という言葉がよく使われます。離婚を繰り返して、仲の良かった人々も離れていって、1人寂しく死んだというような報道も目にしました。

 でも、実はそうではないんです。私自身、傘寿を超えて、もう先が見えてきた。生きているうちに、麗子さんが歩んだ足跡や語られなかった彼女の姿を世間の人に伝えるのが私の仕事かなと思い、今回お話しすることにしました。

〈大原は2004年以降、テレビなどの表舞台から姿を消した。それから2009年に亡くなるまでの約5年間、そばに寄り添った人物が佐藤氏だった。40年の長きにわたり、大原を公私ともに支えてきた佐藤氏は、その最期が「孤独死」というネガティブな響きの言葉でしか語られてこなかったことに、もどかしさを感じていたという〉

 亡くなる6年ほど前、彼女と同居していた時期があったんです。そのころ、彼女の衣裳部屋の壁には『孤独な鳥の、5つの条件』という詩が貼ってありました。サン・ファン・デ・ラ・クルスというスペインの詩人が書いたその詩を彼女は毎日眺めていたんです。

【一つ 孤独な鳥は高く高く飛ぶ
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける
四つ 孤独な鳥は決まった色をもたない
五つ 孤独な鳥はしずかに歌う】

大原麗子さんに寄り添った元マネージャーが孤独死の真相告白

8/28(月) 11:00配信
NEWS ポストセブン

 普通の人だったら毎日見るような詩じゃないでしょう。この詩は麗子さんの生き様そのものなんです。

 亡くなる2年ほど前から、麗子さんは「カヨさん、私は死ぬときにはスーッと消えて、そのままいなくなりたい」って言うようになりました。

 彼女は孤独に追い込まれたのではなく、自ら「孤高」を選んだのです。

(続く)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170828-00000010-pseven-ent
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2: 豆次郎 ★@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:31:01.38 ID:CAP_USER9
>>1 続き

〈2人の出会いは大原がデビューした翌年、1965年に遡る。当時19歳だった大原は可憐なルックスからは想像できない勝気な性格で、9人の男性マネージャーたちを散々振り回した。ついには台本を届けるスタッフもいなくなった。そこで所属事務所で唯一の女性マネージャーだった佐藤氏が担当となったという。以来、大原が事務所を移籍しても専属マネージャーとして行動を共にし、実の姉妹のように寄り添ってきた〉

 女優としては初めから天性の才能を持っていました。音に敏感で、音声さんも気づかない雑音に気づいて指摘することもありました。

 映画『尼寺(秘)物語』(1968年)では、中島貞夫監督に「裸になれ!」とずいぶん言われていました。裸を安売りする気はないから「簡単に脱いでたまるか!」と監督にタンカを切ったんですよ(笑い)。芯の強さを感じましたね。

〈女優とマネージャー以上の濃密な関係を続けてきた2人だが、一時期だけ、絆が途切れたことがある。大原が主演したNHK大河ドラマ『春日局』終了後の1990年、佐藤氏はマネージャーを辞した〉

 そのころ麗子さんは舞台に夢中だったんです。でも彼女は日本舞踊など、舞台に必要な稽古を積んでいなかった。だから舞台から落ちて骨折したり靭帯を切ったり、体を壊しながら演じていました。

 そんな麗子さんを見ていられなくて、私は舞台に出ることに大反対したんです。それでも彼女は「舞台には魔力がある」と譲らず、「なら、もういい」となってしまったんです。

 お互いに連絡することもなく、月日が過ぎていきました。ところが約10年後の1999年、いきなり麗子さんから電話がかかってきたんです。「カヨさん、私、病気になっちゃった」って。以前発症していたギラン・バレー症候群(※注)が再発していたんです。

【※注/感染症などがきっかけで発症する末梢神経の疾患のこと。手足や顔面の筋力が低下し、激しい痛みを伴い歩行困難を引き起こす。特定疾患に認定されている難病の1つ】

 それは大晦日の夜でしたが、声が地獄の底から出てくるような、聞いたこともないような低い声で……。心配になって日が明けた元旦、彼女の家にタクシーを飛ばしました。

 その後、同居を頼まれたんです。勝ち気だった麗子さんが、かなり憔悴していて、「一緒に住んでくれたら一番いい」と何度も言うのです。

 同居生活では、私は料理がからきしなので、食事は麗子さん担当になりました。私が外出先から帰ってくると「お帰りなさい」といって麗子さんが手料理を出してくれる。じゃこを使った料理などを振る舞ってくれましたが、それがとても美味しくて。嬉しかったなぁ。

 でもささいな生活習慣の違いから喧嘩になってしまって、5か月で同居は解消してしまいました。その後も連絡は頻繁に取っていましたが、麗子さんはみるみる衰えていきました。

 そんな中でも女優としてのプライドを捨てなかった。亡くなる1年ほど前、「具合が悪くなったから夜中に救急車を呼んだ」って電話してきたんです。

 それだけでもびっくりなのに、もっと驚いたのは「自宅から徒歩5分くらいの場所を指定して這って行った」って言うんですよ。思わず「何考えてるのよ!」と声を荒げたら、「女優だから家がバレたらいけないと思って……」と。「大原麗子の家なんて、近所中みんな知っているわよ!」って叱ったこともありました。

〈亡くなる前年の11月、大原が自宅で転倒したころから、急に連絡が途絶えたという。2009年8月6日、大原の弟・政光氏からの電話で、佐藤氏は彼女の死を知ることになる。死因は不整脈による脳内出血で、すでに死後3日が経過していた。〉

 彼女の家の冷蔵庫を開けると、お中元で送られてきたスイカの切れ端が2個半だけ残っていました。

 これを見て淋しさや悲しさを感じる一方で、私は、“ああ、麗子さんは天寿を全うしたんだな”とも思ったんです。体力の限界を悟って、「スーッと消えていく」という願いを本当に実行しようとしていた。だから冷蔵庫の中に、もらいもののスイカ以外に自分で用意したような食料がなかったのだと思います。

「孤高」を求めた麗子さんらしい旅立ちでした。

26: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:46:13.75 ID:MjgEpaNN0
>>1
結局このマネージャーが力になれず孤独死したって内容じゃん
料理も出来ない、マネージャーなのに女優と喧嘩がたえないって使えない奴だと自己紹介してるだけ

4: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:32:54.61 ID:cfDZ/5520
寂しいって言われても
一人暮らしして、不定期の仕事してる人なら誰でも可能性あるでしょ
会社員でも金曜の夜に1人で逝けば、月曜まで誰にも気が付かれない場合が多いのでは
みんなが皆、四六時中誰かと連絡取ったり約束してるわけでもないし

7: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:34:32.13 ID:2MNYKeZD0
飯島愛よりはマシ

11: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:37:59.80 ID:HSsxlH5C0
この終わりが数十年以内に日本の日常となるのだ
準備はしておこう

17: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:41:06.88 ID:C1UcjfoJ0
この人の見方はそうかも知れないけど、
人に甘えたり頼ったりしても
愛想つかされて結局離れていったわけだからなあ
「孤高を求めた」はちょっと違うと思う
最後にはある種の境地に達していたかも知れないけど

18: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:41:19.26 ID:WBLPRZ3n0
「俺はニートじゃない。自宅警備員だ」

こう言ってるお前らと同じ人種ということかw

20: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:42:33.21 ID:fBcqqIE+0
元気だった頃番組で食生活密着していたけどやばかった
食事なんてしないで何十種類ものサプリだけで生活してて健康そうなフリしてた
そりゃあ病気になるわ

21: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:43:01.13 ID:lTaDARMb0
森進一と別れた時に言った、「家庭に男が二人いた」は名言
女優しかできない人だったんだろうな

22: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:44:01.59 ID:C1UcjfoJ0
あっちこちに一方的に電話して迷惑かけてそれで皆に距離を置かれた
病気のせいで苦しんだのは気の毒だけど、
孤高を求めたっていうのは違うんじゃねえの
寂しかったと思うよ

29: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:48:09.73 ID:EXrD4tsM0
おっしゃる通り孤高の人だったんだろうけど
こんな大スターで一世を風靡した美人女優でさえ
病気や老いで苦労するのなら
やっぱ伴侶と仲良く暮らすのがいちばん幸せだなとしか思えん

50: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 13:11:42.52 ID:W2hwegl70
>>29
幸せなんて人それぞれで違うだろ
伴侶で苦労するより一人暮らしを選んだ
大原麗子は自分の思い通りに生きたんだから幸せな人生だったと思う

30: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:48:31.14 ID:wdU5RQd90
孤独死、、寂しいと死んじゃふの?

81: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 13:43:34.13 ID:NRsa6cK50
>>30
寂しいと精神的にやられてくると思う
ちやほやされてた人なら特にね

34: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 12:50:51.40 ID:0bcO7so80
世間ではこれを孤独死というんだけどね
まぁ女優だから、体裁的にきれいな言葉の方がええよな

67: 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止 2017/08/28(月) 13:26:20.89 ID:BPrVGSZ60
サントリーCMの、少し愛してながーく愛して いいよな
あの声たまらんち